こんにちは。
天空の鏡を持つ姫巫女 一宮花(いちのみやはな)です。
今日も「自分を認める」ということについて考えていました。
自分を認めるのは、時には難しいこともありますよね。
友人や知人が何の氣なしに放った一言に
深い衝撃や、重さを感じてしまったり・・・
それは言われたくない一言だったりもして。
たとえば「プライドが高いんだね」と言われたら
ほとんどの方は「そんなことない!」と思うでしょう。
「冷たい人だよね」と言われても、ショックだし悲しくなります
でも、反応する言葉ってどこかで自分が氣にしていたり
認めたくなかったり、自分がそう思っていたり、感じているから
反応してしまうことでもあります。
そういう自分を認めたらきっと楽になるのがわかっていても、
すぐに認めるのが難しい時は
「そうかもしれないなぁ」と呟いてみましょう。
「プライドが高い、そうかもしれないなぁ」
「冷たい人、そうかもしれないなぁ」って。
「違うもん!!」と抵抗するより
スッと力が抜けて、気持ちが楽になりませんか?
そもそも、たとえば「プライドが高い」ということって
一概に悪いこととも言えないのですよね。
プライドが無く、いつも自分を低く見せたり、
自分の価値を認めない方が
自分のこと苦しめることになります。
プライドが高いことをダメだと思って、自分を責めるとか、
それが何か行動する時の障害になってしまうようでは困るけれど、
自分の価値を正当に評価し認めてあげて、
セルフイメージを高く持っているのだとしたら
それはむしろ自分をたいせつにしているということでしょう?
「プライドが高い」と仰った方が
言葉の使い方を間違っていただけかもしれません。
「冷たい人だね」って言われても、
「優しい人、人情に厚い人」って思わるより
案外冷たい人だと思われていた方が楽かもしれません。
他の言葉でも同じです。
○○さんがこう言った、言われた・・・
それは、そう言った○○さんの言葉を受け取った
私達の受け取り方次第。
自分が氣にしていなければ、反応すらしないで通り過ぎて行く言葉でしょう。
また、○○さんは、実際私達の本質を見ていないのかもしれないです。
わかる人にはちゃんと伝わっているし、理解してくれます。
自分以外の誰かの言葉に傷つくことなんてないのです
自分さえ、自分を理解し、認めてあげてさえすれば