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Channel: 静かで穏やか~幸福感に満ちた毎日
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■アダルトチルドレン

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こんにちは。一宮 花です。
 
今朝ふと、こどもだった頃の辛かった一時期を思い出したので書いてみます。
 

久しぶりのブログなのに、暗めですあせる

 

岩手から宮城の父の実家へ越したのは、小学校二年生の時でした。

春休みに引っ越して、二年生から宮城の小学校へ通学することに。

 

最初はいろんなことが岩手の小学校とは違っていて驚きの連続。

言葉も違うので、わからないことも多々ありました。

 

まず驚いたのが、黒板にカーテンが無かったこと。

給食はお弁当だったのも驚きだったし、出される牛乳が瓶ではなく、紙のテトラパックだったこと。

岩手の小学校では小岩井農場がすぐ近くだったので、新鮮で美味しい牛乳を毎日飲んでいました。

 

そしてさらに、先生の質問(とても簡単で誰でも答えられるようなこと)に

思いっきり元気いっぱいに「はーい!!」と手を挙げると・・・

 

なんと手を挙げているのは私一人えーん

ほんとうに驚きました・・・

 

いろいろありますが、本題です。

 

母は慣れない土地ということもあったし、祖母や叔母からはいじめられていて

昼間は私達もいないし、居場所が無かったのだと思います。

 

近所にお友達ができると、私達が学校から帰ると家にいません。

弟と二人で夕暮れの中をあちこち探し回り、やっと母がいるお友達の家にたどり着いて

 

「お母ちゃん、帰ろうよ。」と母に何度も言います。

 

母は酔っぱらっていて、腰が重い・・・

そのうちその家にお友達が「もうしばらく居れば」みたいなことを言うわけです。

私達はすぐにでも帰りたいのに。

 

何度も何度も「帰ろう」と母にお願いしますが帰りません。

さすがに夜遅くなってやっと重い腰が上がります。

 

晩御飯をつくってもらえるわけも無く・・・

その時ごはんをどうしていたのか記憶にありません。

ほんとうにその繰り返しの毎日が嫌で仕方ありませんでした。

 

その繰り返しが止まったのは、父が出稼ぎから帰って来たからなのか?

母が自発的に行くのをやめたのか、誰かに諭されたのかはわかりませんが、

半年くらいで止まった氣がします。

 

その頃は相談できる場所があったのかもわからないし、

相談できる大人も、また話を聞いてくれるような人も周りにはいませんでした。

今なら相談できる場所があることもわかっていたかもしれません。

でも、相談できる場所があることを知っていても相談できたかはわかりません。

 

相談したら、もっと酷いことになるかもしれないと思うからです。

安心も安全も約束されているわけではないと思うからです。

 

だから、今私達大人ができることは、

身近にそういう氣になるこどもたちがいたとしたらどうしてあげたらよいのか?

を考え、声をかけてあげること。一緒に考えること、こどもたちの声を聴いてあげることなのかなと思います。

近所の人であっても、今は声をかけにくい時代です。

自然と声かけあえる環境を私達大人も取り戻せたらと思います。

 

それは、ご近所さんに限らず、ご縁あって出会えた、たいせつな友人達に対してもラブラブ

 

 

ただし、レスポンスを返さない失礼な人に対しては、

私達が友人だと思っていたとしても、

相手は友人だとは思っていないことがわかってよかった!!と思うことにしています。

 
 

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